気取った道化に価値は無い


 マネージャーが住んでいるマンションは、入口から警察関係者がウロウロしていた。部屋の中で話しが長くなりそうな響也を置いて、成歩堂は玄関の扉まで引き返す。壁に凭れ掛かって響也を待つ成歩堂の前も警官達はひっきりなしに通り過ぎて行く。
 成歩堂とて、警察に知り合いがいない訳ではない。何気なしに、顔見知りなどを探していれば、何処かで見た事があるのだけれど、誰かわからない人間が数人目に付いた。

 …? 誰だっけ??

 茜や糸鋸刑事などの知り合いではない。その証拠に、彼等は成歩堂に対しては完全に無関心だ。それでも、こうして現場までノコノコと入り込んでいる分胡乱な目つきで見られているのは、仕方ないだろう。

「成歩堂さん。」

 ようやっと話しを終えたらしい響也と、疲れた表情に、それでも笑みを浮かべた男(マネージャーのようだ)が部屋から出てくる。
「大丈夫ですか?」
 刑事とおぼしき男がそう話し掛け、その言葉に数人の警察官が手を止めるのを見て、成歩堂は彼等が何者か思い出した。
 ガリュー・ウェーブのメンバーに違いない。関心は無かったけれど、みぬきや響也に見せられた映像などで無意識に覚えていたようだ。
「ああ、心配かけちゃってすまんな。どうも、いろいろツキがないみたいだよ。」
 アハハと笑う男に、響也を初めメンバー達は皆眉間に皺を寄せた。ケチのつき始めは、やっぱり自分達のメンバーから殺人者が出た事か。
「まぁまぁ、そのうち良いことありますから。」
 言葉が出てこない様子の若者達を見かねて、成歩堂はマネジャーにそう言葉を贈った。嘘のつもりはない。自分だって捏造疑惑で弁護士の資格を失ったものの、それ故に得たものもまた大きいのだから。
「ありがとうございます。…あの?どちら様で…。」
 キョトンと見返したマネジャーに響也が慌てて言葉を続ける。
「こちらは成歩堂龍一さん。僕の友人だって、前に教えただろ?」
「ああ、ガリュウがいつもお世話になっております。」
 丁寧に頭を下げたのは昔の習慣からだろうか。今は、バンドも解散してしまっているから彼の面倒を見る義務はないはずだ。苦笑しつつ、成歩堂も頭を下げる。
『いえいえ、こちらこそ我が侭を聞いて頂いて』などと口にすれば、響也がムッとした表情で成歩堂を睨む。
「…兄貴といい、アンタといい、どうしてそう僕を子供扱いしたがるのかな?」
 
 だって、まだまだ我が侭な子供じゃないか。

 ちらと視線が絡む。マネージャーの顔にそう書いてあったのを確信して、成歩堂は笑った。相手の目も笑っているから、自分も同じなのだろう。そうして奇妙な連帯感は、マネージャーに親近感を与え口を軽くしたようだった。
 年若い響也に愚痴るより、うらぶれたおっさんである自分に愚痴る事にしたらしく、暫く滞在するホテルへ向かうタクシーを待つ間、マネジャーは成歩堂に話し掛けた。

「こうして思い出すと、あの時すれ違った男達が犯人だったんじゃないかと思うと悔しくて。」
 生活用品を詰めた鞄をぎゅぅと握りしめたマネジャーの顔は本当に憤慨したもので、成歩堂は同情の意を頷く事で伝えた。
「事務所の方を徘徊してた奴らがいて、どうも素行も服装も真っ当じゃない。記者の類とも違うから放置してたんですが、さっさと警察呼べば良かったんだ。」
 次々と出てくる文句の言葉は溢れるばかりで収まりそうにない。それに少しばかりの好奇心が成歩堂を動かした。響也が停めたタクシーの後部座席に乗り込むマネージャーにそのまま続いてみる。
 ボスンと座れば(あれ?)と振り向く男ににこりと笑い、いまだドアを手で抑えている響也に向き直った。
「…成歩堂さん?」
 何をしてるのと顔を顰めた響也にも笑ってみせるが、あからさまに訝しい表情。
片方の眉を吊り上げて、もう片方の目を細める。但し、そんな表情すらも可愛いく感じてしまうものだから、自分はこんな事を思いついてしまうのだろう。
 成歩堂は、ギュッと帽子を前に引き下ろし、口端だけを緩く上げた。

「物騒な事があった後だから、ひとりは嫌だろ?」
「なっ…嘘つ…「なんて良い方なんですか!」」
 どう考えても胡散臭い成歩堂の台詞は、彼の人となりを知らない初対面の人間にとっては感謝感激モノだったらしい。
 響也がギョッと目を剥くのが分かるが、人心を把握する術は弁護士だった成歩堂の方が一枚上だ。
「ちょっと待っ…、マネージャー…!! その人はっ…!」
 響也が常日頃、成歩堂から受けている仕打ちを赤裸々に告白する前に、タクシーは緩やかに走り出す。硝子越しに笑顔で手を振る成歩堂に、響也はギリリと歯噛みをした。

 仏心が出ただなんて信じない。絶対、良からぬ事を企んでいるに違いない。

 響也のそれは推測ではない。確信だ。浅くないつき合いが、彼の行動を警告していた。響也の脳裏には、明日自分を待っている仕事の山と眉間に深く皺を寄せ唇を歪ませた上司の顔が浮かんだが、目を瞑る事に決めた。成歩堂の名を出せば、容赦してくれるかもしれないという奸計が頭を掠める。
 そうして、マネージャーのマンションに残る警官と公用車を脚として使用すべく、大急ぎで道を引き返した。



「昔はね、同業者だったんですよ。」
 男に勧められたビールを啜って成歩堂はヘラと笑う。アルコールは強い方ではないからチビチビと口に運んでいたが、マネージャーは横に置かれた備え付けの冷蔵庫から全ての酒類を取り出し、飲み干していく。床の上に増える缶を眺め、苦笑する。
 部屋へ入り、灯りがつくと同時に電源が入ったらしいテレビはそのままつきっ放しで、女子アナが読み上げているニュースの声が少し高くて耳障りだった。それでも、マネージャーは楽しそうに笑う。
「ああ、そうなんですか。法曹界って奴ですか? そいでもって私は放送界の人間で。なんてね〜〜〜あははははは」
 滑らかに飛び出る親父ギャグはご機嫌な証拠だろう。そろそろ頃合いかと、成歩堂は誘導尋問を開始する。
 ちらとマネージャーの肩越しに部屋への扉を眺めた。やりたい事をやっておかないと、そのうち邪魔が入るはずだ。
「牙琉検事は、あんな風ですかね?」
「あの子は最初からね、我が侭でしたよ。」
 クスクスと笑う男に、嫌悪の気持ちは見受けられない。
「才能はあるし、そこそこ容姿もイケル。でもね、本当はすぐに駄目になってしまうだろうと思ってました。物珍しいだけじゃ長続きがしません。だから直ぐに、世間から飽きられると思ってたんですけどね。」
 そう告げて、ぐいぐいとビールを煽る。
 響也が聞けば相当に憤慨しそうだが、当時の真実だろう。自分と初対面の時だって、実力不足の生意気な子供としか映らなかった。裁判にはあったが、響也自身に興味が薄く来てしまった事を、本当のところ成歩堂はこっそりと後悔している。
 両腕に抱き込んでも足らないのは、彼の全てを手に入れていないから。分かり易い嘘の裏側を見てみたいし、自分と共有しなかった時間を過ごす響也を知りたいと思う。
 こんな事になるのなら、ずっと響也を見ていれば良かった。
 けれど、それも気恥ずかしい告白で、今更ながら躊躇われる。響也を素直じゃないと感じてはいるが、自分だって相当だ。
 根掘り葉掘り聞きたがれば、鬱陶しがられるのは目に見えている。

 …という訳で常々していた後悔を埋められる機会を見逃す手はない。成歩堂がマネージャーに付いてきたのはそんな単純な理由だ。

「予想に反して、今では幼稚園児から八十坂の婆さんまでファンレターが来るアーティストになっちゃったんですけどねぇ。あ、そうそう、そう言えば…」
 アルコールは、彼の口を更に滑りやすくしていく。
 自分が聞いた事を知れば、きっと顔を羞恥の色に染めて言い訳をしてくるだろう話の数々は成歩堂の頬を綻ばせた。寝物語に小出しすれば、さぞ楽しめるだろうと思うと緩む口を引き戻せない。
 けれど、ファンの間で仲を噂されるほどに親密だったらしい、相棒に話が及ぶとムッと来る。話題を他に振ろうとして、隣の酔っぱらいが缶を抱えたまま鼾をかいているのに気が付いた。
 いつから、そうなっていたのか全く覚えていない辺り、酔いもまわって来ていると成歩堂は思う。ふわふわとした浮ついているのは決して悪いものではない。言うなれば、幸せな気分だ。
 …そうか、今日は久しぶりに響也君に触れたんだっけ…。
 にやにやと緩む頬を包む込むように、掌で抑えても、どうにも緩い笑みがおさまりそうになかった。

 コンコン。

 話し相手も寝入ってしまい、手持ち無沙汰になった成歩堂を待っていたように、部屋のドアをノックする音がした。
「やっと追いついたのかい?」
 扉の向こうにいる相手を想像して、口端が緩む。床に転がっているマネージャーにベッドから毛布を引っぱり出して掛けてやってから、扉に向かった。
「今、開けるよ。」
 開口一番に、何を言ってくるだろうか想像し、チェーンを外し、ガチャリと鍵を開けた成歩堂は絶句する。
 どうも深刻な話だったのだと、漸く気付いたのは自分に突き付けられた銃口を覗き込んだ後だった。


content/ next